うどんとそばについて
「うどん」(饂飩)の由来と「三河うどん」
奈良時代に渡来した唐菓子の一種で、最初は小麦粉の団子に「アン」を入れて煮たのを混沌(コントン)と呼び、丸めた団子はくるくるして端がないからコントンといわれたが、食べ物であるから食偏に改めて饂飩(コントン)となり、熱く煮て食うところから温飩((ンドン)となり、更に転じて饂飩(ウドン)になったもの。
そば粉は信州産、うどんは内地粉が良く、手法は手打ちで、「一に木鉢、二に伸ばし、三に包丁」と言われる所以です。
当店では上質の中力粉を使用するなど材料を吟味し、お客様のご満足にお応え出来るよう努力しております。
「にかけ」とも呼ばれる「三河うどん」は豊橋を代表する食べ物の一つ。
うどんを温めてからつゆをかけ、刻んだ油揚げや花カツオ、かまぼこなどを乗せます。うどんの味を生かすカツオだしのあっさりしたツユは、何度食べても飽きないと評判。
「おそば」(御蕎麦)の由来と当店こだわりのそば粉
元正天皇の養老6年(722年)の夏に、雨が降らず、稲が生長しなかったので、「そば」を植えて忘年に備えたと「続日本記」に記され、奈良朝以前から植栽されていた事が明白です。
伊吹山麓に発祥した「そば」は、気候風土の関係から信州・甲斐・信濃と東漸し普及していきました。
食べ方には、一番原始的なものに「そば飯」、三河山間部の一部に今も残る「そば餅」(ソバボットリ)、そしてそば粉に熱湯を注ぎながら練って作る「そばがき」、現在の「二八そば」があります。
この二八そばとは、天保年間に、そばきり一膳十六文であったところから、二八としゃれたのが始まりの一説とありますが、実際はそば粉八割につなぎのうどん粉二割と云う二八の説が本当のようです。
当店のそばは、一般に「更科粉」と呼ばれる一番粉に二番粉をブレンドしたもので、美しい白さとシャキシャキした歯切れの良さ、食感の良さに加え、ほのかな風味と甘味も備えたお勧めの逸品です。